わたしたちの南大東村3年4年合冊版
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ぎにびい備外械山権蔵糖展師砂ざきぎし人業が発 ■ウ 西港の近くにある 上陸記き念ねん碑ひ●↑ ●↑ ■イ 南大東島の開たくにかかわる主なできごと●↑ ■エ 玉置半右衛門 (たまおきはんえもん)とうくろはたらかいせいもんじゅんがいおきやまごんぞうしょくにんはっとうてん1838(天てん保ぽ9)年1885(明治18)年1892(明治25)年1899(明治32)年1900(明治33)年1901(明治34)年1902(明治35)年1910(明治43)年玉置半右衛門,東とう京きょう都八はち丈じょう島じまに生まれる。南大東島が日本国の領土となり,沖縄県となる。古こ賀が辰たつ四し郎ろう,南大東島の開たくのため船を出す。しかし,島への上陸ができずに開たくをあきらめる。その後も,数名の人たちが開たくをためすも上陸できずにあきらめる。10月 玉置半右衛門,八丈島にて開たく者を集める。11月23日 帆ほ船せん回かい洋よう丸まるにて八丈島を出発し,南大東島を目指す(海があれたため,那な覇は港こうや馬ば天てん港こうにもどる)。1月23日 南大東島に着き,小舟で上陸地点をさがし,現在の西港を選えらんで上陸。1月25日 沖おき山やま権ごん蔵ぞう,池を発見(水の心配がなくなる)。池いけ野の沢さわ部ぶ落らくにて土地のわりあてがあり,農業が始まる。人力によって,サトウキビから黒こく糖とうがつくられる。5月28日 玉置半右衛門,製せい糖とう機き械かいと技ぎ師し・職しょく人にんを連れて来島。11月1日 玉置半右衛門,病気にてなくなる。187島に上陸した開たく団は,森を切り開き生活する準しかし,上陸して2日後,開たく者の一人,沖「島に上陸した後,どうやって生活していたのだろう。」問いまりさんたちは,年表を見て疑思ったことを係の人にたずねました。ふるさと文化センターの係の人の話き手がやってきました。と技を進めていましたが,船で運んできた水が少なくなり,飲み水以は海水を使っていました。飲み水がなければ生活ができません。が池を見つけたのです。水を見つけた開たく者たちは,あれた土地を切り開き農業を始めました。上陸の2年後には,人力によってがつくられました。上陸から10年後の1910年には,黒玉置半右衛門が黒砂糖づくりの機を島へ運んできました。その後は,サトウキビづくりと製し,島外からも多くの働・職糖

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