わたしたちの南大東村3年4年合冊版
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ぎわ和有権人作こ問を係の人にたずねました。●↑ ■ウ 玉置商会時代の 黒糖づくり●↑ ■エ 東洋製糖工場の 社員用の住たくじょう上てき的しょうしょさくにんひつなしせつが必よう要ゆうけんはたらもんつづけい人口がふえると,学校や病院,警きょう共さつ察もうけをえるために事業を行うこと。他の土地にうつり住む人。持つことがみとめられた権けん利り。地主から土地をかりて農業をする人。189東洋製糖がサトウキビ産業を大きくすることで,島外からの移住者も多くなり,4000い人以にも人口がふえました。しかし,1925年ごろになると,東洋製糖の経営もきびしくなってきました。そこで,1927(昭2)年には大日本製糖社に会社の経営がうつります。大日本に経営がかわっても,島の所は,製糖会社のままでした。島の農地は全て製糖会社のもので,学校や病院,警察なども全て会社のものだったのです。島民には,土地の所有権はみとめられずに,農家は小けたのです。「無人島だった島が,開たく民によって,サトウキビ産業のまちになったんだね。」「沖縄や東京からも移住者がふえたんだね。その後,島の人々の生活はどうなったのだろう。」ともやさんたちは,疑として働き続に思ったことなどのこう公となります。東洋製糖は,それらのしせつを会社としてつくっていきます。当時の島は,島全体が会社のものだったのです。経営移住者所有権小作人ふるさと文化センターの係の人の話

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